選書紹介『「利他」とは何か』
利他を巡る旅
社会に生きる人々は少なからず利他的であることが求められている。
しかし, 利他とは一体どういうものなのかということや利他が社会にどういう影響を与えるのかについて考えることは少ないように思う。
「利他」という言葉をネット上のgoo辞書で引いてみると,
1他人の利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと
2仏語。人々に功徳・利益を施して救済すること。特に阿弥陀仏の救いの動きをいう
という意味が出てくる。2の意味はともかくとして1の意味はシンプルであり誰でも理解できるはずだ。
しかし, シンプルな意味故に解釈の幅は広く人それぞれの利他があるのかもしれない。
このコラムでは「利他とは何か」という1つの本を読み, 利他について色々と思考を巡らせようと思う。いわば利他を巡る旅である。旅の最後では私なりの利他が発見できればと思っている。
本コラムを開いた読者も「他を利すること」について考えるきっかけになれば幸いである。
きっかけ
実は本書はずっと前に購入していたが読んでいなかった本であった。しかし, とあるきっかけから「利他とは何か」ということについて深く考えようと思いたったのである。
それは他でもない当塾の自習スペースを利用している社会人の方の「ある1つの行為」だった。
いつものように塾で子どもたちの見守りをしていると, その方は当塾に入るなり「ハロウィン用のお菓子です。生徒さんたちに」とビニール袋いっぱいに詰まったお菓子を手渡してくれた。
素敵な大人が子どもたちの周りにいてくださることは運営している立場からすると非常に嬉しいことである。
その方がしてくれたことは紛れもなく「利他」的な行為と言えよう。この場を借りて改めて感謝申し上げたい。
こうした素晴らしい例のように利他は世界の至る所に存在している(と私は強く信じている)。
次章では本書の概要を見ていこう。
本書の概要
本書では世界にありふれた「利他」を分野の異なる5名の研究者たちが論じている本となっている。
以下に本書の目次を記しておく。
1章「うつわ」的利他 伊藤亜紗
2章 利他はどこからやってくるのか? 中島岳志
3章 美と奉仕と利他 若松英輔
4章 中動態から考える利他 國分功一郎
5章 作家, 作品に先行する, 小説の歴史 磯崎憲一郎
どの章も非常に興味深く読めたのだが, 特に私は中島岳志氏の章につけられた「利他はどこからやってくるのか」というタイトルに惹きつけられた。
この章で中島は, 「利他」には支配につながる残酷な側面があることを指摘し, 思わずやってしまう「オートマティカルな行為」にこそ利他が宿ると述べている。詳しくは本書を参照されたい。
次章では「利他がどこからくるのか」という点に着目し私なりに論じていく。
利他はどこからくるのか
中島岳志氏の章のタイトルである「利他はどこからくるのか」という問いは非常に興味深い視点であるように思う。
冒頭でも述べたように「利他」を辞書で引くと「1, 他人の利益となるように図ること」と記載されている。「図る」ということは, 他人の利益となるようなことを「自分で考え実行する」ということである。
つまり利他はどこからくるのかという問いの答えは自分の意志からというのが妥当なようにも思える。
しかし本当にそうだろうか。もう一度辞書を眺めてみよう。
「2, 仏語。人々に功徳・利益を施して救済すること。特に阿弥陀仏の救いの動きのことをいう」。
阿弥陀仏というのは極楽浄土にいて衆生を救済するとされる仏のことである。
ここでは仏の救いの動きが強調されており, 利他を行うのは「自分」ではあるものの利他の出発点は「仏」である。
一般的に私たちは利他的な行為をするとき「他者のために何かできることはないかな」といったような思いからスタートする。しかし, こうした思いを持たずして利他的行為をすることはあるのだろうか。
中島は「わらしべ長者」のなかの「主人公が観音様からの大切な贈り物である一本の藁を子どもにあっさりとあげてしまうエピソード」を例に挙げている。
主人公はこの初めの贈与をきっかけに物々交換を繰り返し最後には大きな富を得ることとなる。しかし, 最初の贈与の時点では主人公は自分が大きな富を得るとは知る由もない。つまり初めの贈与は完全に一方的なものである。
この一方的な贈与のことを中島は「この贈与を説明しようとしても「ふいに」としかいいようがない。合理性がなく意志に還元されない何かが動いている」と指摘している。
これはおとぎ話の例であるが, 我々の日常にもこうした「無意識的な」・「オートマティカルな」利他的行為が存在しているのではないかと思う。
最近見たネットニュースでは, 人助けをした人が消防署から表彰を受けていた。
その人はインタビューで「体が勝手に動いていた」と語っていたが, もしこれが本当だとしたらオートマティカルな利他的行為と言えるのではないか。
そしてこのような自然に行われた利他の背景には仏や神といった神秘的な力が動いているのかもしれないし, それらは私たちに利他的であることを求めているのかもしれない。
私たちは何をすべきか
コラム書き始めでは, 私が「利他」を巡る旅だったが, 旅をしていたのは「利他」そのものなのではないだろうか。
思えば人生のなかで何度も利他を受け取り, それをまた誰かに渡してきた(つもりだ)。
読書のみなさんの周りにもきっと利他は巡っている。利他が何度も巡った結果, 私たちには様々な「つながり」が構築された。
前章ではオートマティカルな利他の背景には, 神秘的な力が働いているのではないかと考察したが, それを信じるのならば神や仏は私たちに「つながり」をもたらしてくれているのかもしれない。
いろいろと利他について考えてきたが結局のところ私たちにすべきことはやはり「利他を巡らせること」なのではないかと思う。
しかし, 本書の著者たちが指摘していたように利他には支配につながる残酷な側面があるし, 利他を強いるような社会は窮屈な気もする。
友人何人かと利他について議論すると, 「利他って結局はどこまでいっても利己なんじゃないか」といった発言も見られた。
残酷だが他者の利益のためにした行動が実際は他者のためにならなかった経験は誰しもあるだろう。
だがこの苦い経験も一概に悪いとは言えない。
この経験を通して人々は「本当に相手のためになることは何だろうか」と考えることができる。
そうやって利他は無駄なものをそぎ落とし洗練されていく。洗練されきった利他はどんな姿をしているのだろうか。
まだまだ私たちの利他を巡る旅は終わらない。
紹介者:尾崎
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