選書紹介 『じぶん・この不思議な存在』/ 鷲田清一
今週のでこぼこ選書は
哲学者・鷲田清一さんの著作です。
国語の教科書にも載っているので、目を通したことのある方もいらっしゃるかもしれません。
「自分探し」なんて言葉がありますが、「自分とは何だろう」・「自分らしさってなんだろう」みたいな問い、おそらく考えたことがある人も多いのではないでしょうか。
どうやら人間社会には、就活やらなんやらで、自分という人間がいかなる存在かを自ら開示せねばならない儀式が多々あるようですし…。
本書はそんな「自分とは何か」という問いを題材に、不思議な存在である「自分」についての哲学的な考察を深めていきます。
やや難解なテーマではありますが、鷲田さんの美しい文体、そしてユーモラスな具体例の数々のおかげで、内容自体はスッと入ってくる印象です。
そういや前の塾に勤めていたころ、この本を用いて生徒さんと輪読会をした記憶があります…懐かしい。
本の要旨
本書の要旨を抜粋してご紹介してみます。
鷲田さんは「自分とは何か」という問いの答えを自分のなかに求めても、納得のいく結論には至らないだろうと語ります。
なぜなら「自分」とは、文化的・社会的・言語的な規定の上で成り立っているものであり、
自分だけに固有な「何か」を見つけようとしても見つけられないからです。
自分だけしか持っていない「性質」とか「属性」って、言葉を用いて探してもなかなか見つからないですよね…。
ではこの問いをどう考えたらよいのか。
鷲田さんは、私は「何」であるかと問うのをやめて、
私は「誰か」、特に誰にとっての「特定の他者」なのかと考えよう、と提案します。
「自分とは何か」、それは各々の身の回りの具体的な「他者」とのかかわりの中でしか見えてこない。
自分が自分として感じられるには、自分が「他者の他者」でなければならない。
言い換えれば、自分が自分として感じられるには、「他人のなかに自分が意味のある場所を占めているかどうか」にかかっている。
いつどんな時も持続する、一貫した「自分」があるわけではない。
そして「他者」がいなければ自分はいない。自他は相互補完的な関係なのだ。
なんだか難解になりました…謎の暗号みたい。
この辺りの真相は、ぜひ皆さんの目で確かめてみてください(ΦωΦ)フフフ…。
またもう一点ご紹介すると、鷲田さんは結論に向かう過程で、「自分らしく」あろうとしすぎないことも大切なのではと語っています。
「自分らしくあろうとしすぎない」とは、特定のアイデンティティ(性格・役柄・仕事など)に固執しすぎないということでもあります。
固定的な「自分」のアイデンティティを持つことは、自分の存在の安定感を生む一方で、
それが完了したとき・崩れたときに「空白」を、また時に深い絶望をもたらします。
本書ではその例として、定年まで仕事に打ち込み、その後「仕事」というアイデンティティを失ってしまった結果、奥さんにぶら下がる「濡れ落ち葉」としての老年男性の様子が上げられています。
自分らしくあろうとしすぎなくとも、その都度のフェーズで身近な「他者」との交流があるのなら、人間は「自分」として生きていける。
このことはある種の希望であると思うのですが、「アイデンティティ」に関する詳細なお話は、心理・福祉の専門である熊谷さんと尾崎さんに引き継ごうと思います!
自分の「自分」観の変化
紙面に余裕がありそうなので、少し自分の昔話をさせていただきます。
自分は学生のころ、他者から特定のイメージを「押しつけ」られることが嫌で仕方ありませんでした。「君はこういう人でしょ」・「お前はこういうやつだ」みたいな。
何かで括られること・ラベリングされることがものすごく嫌だった。
今思い返せば、人から評価・判断をされることにおびえていたのかもしれません。
(自分の世界に閉じこもって生きていたということかもしれません。)
今も若干その気はあるのですが、少し違う考え方もしています。
ある固定的なイメージを「押し付けられる」みたいな捉え方を当時はしていたのですが、それは同時にポジティブにも捉えられる事象なのかなと思いはじめました。
いわばある種の「押しつけ」を通して、自分の知らない自分を教えてもらえる。
それによって自分の自分に対するイメージも更新されていく。
自分という存在の輪郭が一層かたどられていく。それは一つ喜ばしいことなのかなと。
こう思いはじめてから、何となく肩の力を抜いて生きることができるようになった気がします。
定かではないのですが、人間は誰かとともに生きていると実感しはじめた、そしてこのように思いはじめたきっかけの一つには、本書の存在があったのかもしれないなと、再読していて思い出しました。鷲田さんありがとう。
おわりに
自分のお話が少し長くなってしまいました。猛省。
以前ご紹介した本と同様に、結論に至るまでの過程に、きっと様々な発見がある一冊だと思います。ご関心のある方はぜひお手に取ってみてください。
また今の自分には明快に論じることができないのですが、本書の議論を用いて、デジタル時代・デジタル空間における「じぶん」を問う、というのも面白い気がします。
そんな難題を未来の自分への課題とし、本コラムを終えたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
紹介者:吉田
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