選書紹介『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』/ 東浩紀
本日のでこぼこ選書は
哲学者・批評家であり、株式会社ゲンロンの経営者でもある東浩紀さんが、ゲンロン創設から10年間の歩みを赤裸々に語った作品です。
ビジネス書でもあり、哲学書でもあり、私小説ともいえる本書。
私も経営に携わる端くれとして、色々な意味で刺激をいただきました…。
ひとは40歳を過ぎても、なおかくも愚かで、まちがい続ける。
その事実が、もしかりに少なからぬひとに希望を与えるのだとすれば、ぼくが恥を晒したことにも多少の意味があるだろう。
『ゲンロン戦記』東浩紀、中公新書ラクレ、2020年、5頁。
本書の紹介
本書で語られる「ゲンロン10年間の歩み」は、決して華やかなものではありません。
生々しい人間関係のゴタゴタや金銭面の苦悩、倒産の危機、さらには精神的挫折、などなど、
東さん曰く、自身の過ちや弱さから生じた、数多くの「まちがい」と「反省」が綴られています。
哲学者というと、俗世から離れて、何やら大きなことを考えるのが仕事、みたいな印象を抱きがちですが、そんな哲学者の生活を想定して読み進めると、なんだか拍子抜けしてしまうかも?
でも世俗的なゴタゴタに振り回され、幾度もの「まちがい」と「反省」を繰り返し、苦しみながらも泥臭く立ち上がる東さんの姿からは、勇気と希望を、時に感動をもらいました。
これ以降は、本書のなかから、私が特に刺激を受けた個所をご紹介します。
会社の本体は「事務」にある
東さんの語る「失敗」の一つに、「事務の軽視」があります。
創業当初の東さんは、コンテンツ、もしくはそれを生み出すクリエイターこそが「組織の本質」で、「経理」や「総務」はあくまで補助的な存在であり、そういった「面倒」な部分(=一見「本質」には見えない部分)は外注で賄えばいいだろうと考えていたそうです。
しかし東さんは、そんな「事務」を軽視する発想によって、幾度も痛い目を見ることになるのです…(詳しくはぜひ本書をお読みください)。
エクセルにひたすら領収書を打ち込みながら、「人間はやはり地道に生きねばならない」と覚悟を決める哲学者の姿には、どこかアツいものを感じます。
東さんはそんな当時を振り返り、「事務はしょせん補助だというような発想は、痛いしっぺ返しを食らうことになる」、「どんな『商品』も事務がしっかりしていないと生み出せない」と、そして「会社の本体は事務にある」と力強く語り、本書のメッセージを以下のように総括します。
本書ではいろいろなことを話しますが、もっとも重要なのは、「なにか新しいことを実現するためには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的なメッセージかもしれません。
『ゲンロン戦記』東浩紀、中公新書ラクレ、2020年、32-33頁。
私も少なからず経営に携わってみて、近しいことを実感します。
周りの方々にいただいた「事務作業」での膨大なお力添え(チラシ折りや広告制作、看板製作などなど)がなければ、我々はここまでくることができませんでした。
経理面の事務についても、顧問税理士さんにとんでもないくらいお世話になっています…。
皆さま本当にありがとうございます。
どんなに素晴らしい理念やクリエイティブなアイデアがあったとしても、「事務」がしっかりしていなければ、それを実現することはできない。
会社を回すのは、一見面倒にも映る「事務」である。会社の本体は「事務」にある。
ほんとその通りだと感じます。
一般事務から経理事務まで、地道な「事務」なくして会社は成り立ちません。
泥臭くも地に足をつけて、なすべきことをなしていく他ない。
私もコラムを書き終え次第、ためていた領収書の打ち込みと整理にとりかかろうと思います…。
「ぼくみたいじゃないやつ」とやっていく意味
もう一つ、東さんの語る「失敗」として印象的なのは、「ぼくみたいなやつを集めようとしていた」という点です。
ゲンロン創業の動機として、自分と価値観の近い、一回り若い「仲間」=「ぼくみたいなやつ」を集めたかったという思いがあったそうです。
そしてその背景には、東さん自身が抱える「自信の欠如」や「現実逃避感」といった、「無意識の弱さ」が潜んでいたと回顧しています。
若いころから批評・哲学の世界で脚光を浴び続け、早稲田の教授になったり、小説を書いて三島由紀夫賞を受賞したりと、メインストリームで活躍する「知識人」として名を轟かせてきた東さん。
しかしいつからか、そんな「偉い」自分を引き受けることが怖くなった、
この人生は「ほんとうの自分」のものではないと感じるようになったと語ります。
そこで東さんは、失敗したときの責任を回避するために、自分よりも若く、立場の低い「ぼくみたいなやつ」を引きずり込むようになっていた、と過去を振り返っています。
そして2018年、東さんは結局「ぼくみたいなやつ」が見つからないことに憤慨し、結果的にゲンロンの代表を降りることになります。
しかし東さんが代表を降り、新代表に上田洋子さんが就任した後のゲンロンの事業は、東さんの予想とは裏腹に、社内の雰囲気は良くなり、利益も拡大するなどなど、とてもうまく回り始めます。
自分だけがゲンロンを続けてきた、自分以外の人間でゲンロンが回るはずがないと思っていた東さん。
しかしそれは間違いだったと考えを改めたそうです。
ゲンロンはたしかにぼくがつくった。でもぼくのためのものではない。「ぼくみたいなやつ」のためのものでもない。ゲンロンは2018年の時点で、「ぼくみたいなやつ」が集まる内輪向けの空間よりはるかに大きくなっていた。
『ゲンロン戦記』東浩紀、中公新書ラクレ、2020年、222頁。
それなのにぼく自身がその変化を受けとめることができていなかった。上田さんは「ぼくみたいじゃないやつ」の代表として、徳久くんとともにその事実に気づかせてくれた。
東さんは、こうした経験から「ぼくみたいじゃないやつ」とともにやっていく意味を見出していきます。
そして「ぼくみたいなやつ」を探さなくてもいいと気づいた瞬間、「孤独」になったと、正確には「孤独」を受け入れるようになったと、どこか明朗に語ります。
ぼくと同じように、同じ関わりかたでゲンロンをやってくれるひとはいない。けれども、だからこそゲンロンは続けることができる。
『ゲンロン戦記』東浩紀、中公新書ラクレ、2020年、223頁。
これからのゲンロンは「ぼくみたいじゃないやつ」が支えていく。ぼくはそのなかでひとりで哲学を続ければいい。ひとりでいい。ひとりだからこそできる。
この瞬間、東さんは「孤独」であることを受け入れ、真に「東浩紀」としての生を、そしてその「責任」を引き受けることができるようになったのではないかと思います。
「ぼくみたいなやつ」はぼくしかいないし、そもそもすでにぼくがいるのだから、これ以上は必要ない。
『ゲンロン戦記』東浩紀、中公新書ラクレ、2020年、223頁。
ぼくは「ぼくみたいじゃないやつ」と一緒に行動することによって、はじめてゲンロンを強くすることができるし、多様で開かれた場にすることができるのです。
上手く言葉にできないのですが、「孤独を受け入れること」と「他者とともに生きる覚悟を持つこと」、そして広く「多様性」の問題は、どこか連続しているのかもしれません。
このように本書・『ゲンロン戦記』の面白さは、ビジネス本や哲学書の範疇にとどまらず、(僭越ながらも)一人の人間「東浩紀」の成長物語として読める点にもあると感じています。
おわりに
気づいたらだいぶ長くなってしまいました…。
本書には、本コラムで取り上げたテーマ以外にも、
・「オルタナティブ」であることの意義
・「誤配」という概念
・「文化」と「観客」の関係性
・「反資本主義的であること」と「反スケール」
などなど、興味深いお話が多数収録されているのですが、今回は泣く泣くこの辺りまでとさせていただきます。
前述の通り、本書では数多くの失敗と反省が綴られています。
しかし「まちがい」の連続とは言いつつも、「人文学」というある種ニッチな領域で、10年間も事業を続けることの偉大さたるや…頭が上がりません。
我々も、「小さくとも持続可能な場」であり続けるために、本書の教訓を活かして精進してまいります。
紹介者:吉田
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